バーディン広場

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(VOVWORLD) - 今から75年前の1945年9月2日、ホーチミン主席はベトナム民主共和国の誕生を告げる独立宣言を読み上げてから、バーディン広場はベトナム人にとって神聖で、かつ、お馴染みの地名となりました。

バーディン広場はハノイ市バーディン地区に位置し、フランス植民地支配の前からあるハノイ王城の西門に近い一方、その周辺にはホーチミン廟、英雄烈士の記念碑など神聖な施設があります。ですから、そこを「ハノイの心」といっても過言ではありません。

(現場のテープ)

バーディン広場 - ảnh 1

これは9月2日のベトナム独立記念日の朝に、この広場で行われた国旗の掲揚式の音声です。全国各地の多くの人々はここを見学していますが、9月になるとその数が急増しています。南部ドンナイ省からの観光客グエン・ビック・ハインさんは次のように語りました。

(テープ)

「独立記念日に、バーディン広場を訪れるのは今回が初めてです。この特別な日の朝6時に行われた国旗の掲揚式に参加しました。ベトナムの誇りを思うと、感無量です。ここは神聖な所です」

バーディン広場はハノイの歴史遺跡であるだけでなく、有名な名称でもあります。ここではベトナムの重要な出来事が行われました。特に、75年前の1945年9月2日、ホーチミン主席はベトナム民主共和国の誕生を告げる独立宣言を読み上げました。

(現場のテープ)

バーディン広場 - ảnh 2

あれから75年が経ちましたが、バーディン広場を訪れると、その独立宣言の内容は多くのベトナム人の心に刻まれています。バーディン広場の左右の幅は320メートル、縦が100メートルで、中央に高さ25メートルの国旗掲揚のポールがあります。20世紀の初頭、フランスがハノイ城を破壊した後、この一帯を整地して、ここにフランス人司祭プギニエール(Puginier)の名をつけた公園を造りました。当初、バーディン広場は現在の形状とは異なり、ヨーロッパのロータリー(円形交差点)のような公園でしたが、フランスから独立後に「バーディン広場」と改名されました。

その前、バーディン広場は多くの名前が付けられました。歴史学者レーバンランさんは次のように語りました。

(テープ)

「1945年7月、ここがバーディン公園という名前が付けられました。1945年9月2日、ホーチミン主席はここでベトナム民主共和国の誕生を告げる独立宣言を読み上げたことから、独立公園に改名されました。フランス軍がハノイを支配した時期に、当時のハノイの市長はここをホンバン公園という名前を付けました。そして、1954年10月10日、ハノイが解放されてから、ここが最初の名前であるバーディン公園に改名され、そして、その後、バーディン広場にもう一度改名されました。」

この広場の周りにはいくつかの別荘や建物が建設されましたが、その後、これらの建物の中には国家主席官邸、党中央委員会の本部、外務省の本部となってきました。バーディン広場の付近に住んでいるハノイ市民ドゥ・チエン・タンさんは次のように語りました。

(テープ)

「バーディン広場にあるホーチミン廟を訪れる度に、感無量です。今、年を取ってきましたが、その気持ちは初めて訪れた時と変わりません」

美しい風景と建築様式があるバーディン広場はベトナムの歴史、文化面において大きな意義があり、過去も、将来にもベトナム人の精神生活に重要な価値が保たれているところでしょう。

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