春に公演されるハットサム

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(VOVWORLD) -「ハットサム」はベトナム北部の有名な伝統民謡で、消滅の危機に追い込まれた時もありましたが、近年、北部港湾都市ハイフオンで、この民謡が伝統祭りや舞台だけでなく、路上でも公演されているほか、学校でも教えられています。

「ハットサム」というのはベトナム北部独特の節回しの民謡で、封建時代に貧しい歌い手が都会の市場や辻でこれを歌い、門付け(かどづけ)芸人として暮らしていました。

春に公演されるハットサム - ảnh 1ハイフォン市のハットサムクラブの公演

元々は、目の不自由な人がこの民謡を街中で歌い、生計を立てるため、市場や街頭などの路上でパフォーマンスをして金銭を恵んでもらい暮らしていました。人生の不運や悲しみ、苦しみを歌ったり、また英雄を讃えたりする内容の歌などがあります。悪を非難する歌詞もあります。

(現場のテープ)

年末年始の休日や行事のあるときに、ハイフォン市では同市の中心地にある公園やタムバック歩行者天国で「ハットサム」の公演が行われます。この公演はハイフオン市のハットサムクラブの歌い手が実施したものです。春の市場で開かれた「ハットサム」の公演を楽しんむハノイの観光客レ・ホアン・ザンさんは次のように語りました。

(テープ)

「ハットサムを始め伝統音楽を鑑賞でき、感動しています。市場経済の中ではだれもが常に忙しいものですが、昔からの音楽を聴くと心が落ち着きます。この伝統文化を維持、保存する必要があります」

ハイフォン市の市民にとって、公園や歩行者天国などで披露されるハットサム公演は徐々に知られるようになりました。ハイフオン市の市民の一人フアム・テイ・ハイ・イエンさんは次のように語りました。

(テープ)

「ハットサムは昔から伝えられてきた伝統民謡で大好きです。若者たちも伝統文化を理解できるよう、このような公演をより多く行うことを望んでいます」

ハイフオン市のハットサムクラブの一員であるダン・ドゥク・タムさんは次のように語りました。

(テープ)

「ハットサムは昔から伝えられてきた伝統民謡です。ハットサムを通じて、人生の不運や悲しみ、苦しみを表すもの、または悪を非難する歌詞があり、教育の価値もあります。また、革命を宣伝するハットサムもあります。今後、多くの若者がハットサムを学ぶことを期待しています」

ハイフォン市のハットサムクラブの結成とハットサムの維持、保存、PRに大きく貢献してきた人物は民間芸人にダオ・バック・リンさんがいます。幼い時、リンさんはVOV=ベトナムの声放送局の民謡番組を聴いたり、お婆さんが民謡の美しさを説明したりしてくれたと言います。

春に公演されるハットサム - ảnh 2ダオ・バック・リンさん

2002年、ベトナムの有名なハットサムの歌い手であるハー・テイ・カウさんのハットサムを聴いて、すぐに虜になってしまったそうです。当時、ハノイ工科大学の学生であったリンさんは毎週末ハノイからおよそ100キロメートル離れたニンビン省のカウさんの家に行って、ハットサムの歌い方を学びました。

2009年に、リンさんは友達とともにハイフオン市のハットサムクラブを結成し、公演を行いました。これまでに、リンさんの支援の下、全国の多くの地方で、ハットサムクラブが結成されるようになりました。リンさんの話です。

(テープ)

「私は多くの地方に赴き、ハットサムクラブを結成したり、知見を共有したりしています。これまで、多くのハットサムクラブが活発に活動を行い、ハットサムの維持、保存活動に大きく貢献しています。ハットサムを歌うすべての地方に行っています。」

2012年、リンさんはハットサムをハイフォン市の視覚障碍者学校の教育カリキュラムに取り入れたほか、2019年ハイフォン市の文化芸術専門学校と協力して、学生にハットサムの歌い方を教えました。ハットサムは芸術公演で歌われるほか、観光客にも紹介されたり、学校の授業に取り入れたりしています。

ハットサムの普及に全力を尽くす人々の努力により、この民謡が維持、保存されるだけでなく、広く普及することが期待されています。

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