VOVの記者が体験した東日本大震災

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(VOVWORLD) - 東日本大震災から10年が経ちました。3月というと日本では卒業シーズンですが、10年前の3月は特別でした。今日のハノイ便りは東日本大震災で特別な体験をしたHoang Lien Sonさんにその体験を語って頂きたいと思います。

Q 小松 最初に簡単な自己紹介と当時のことを教えていただけますか?

A Son 私は1977年にハノイで生まれました。ハノイで生まれ育っていわゆるハノイっ子ですね。日本語はハノイ貿易大学で勉強し、2000年に卒業した後、VOVに入局しました。その10年後、つまり2010年3月16日にVOV東京支局長として東京に着任しました。そして、日本に来てからのちょうど1年後に、大地震を体験しました。

Q 小松 地震を体験したのはどこでしたか?その後どうしましたか?

A Son 地震が起きた時、渋谷のオフィスにいました。その前は、日本に来てからちょうど1年経ったので、それまでも何回か地震を体験しましたが、全ては小さい地震でした。小さい地震に慣れてきた私は、2011年3月11日午後の大地震が起きたとき、最初は今までの地震と同じと思って普通に仕事を続けました。しかし、時間がたつにつれて地震が激しくなって、本棚から本とか飾り物が床に落ち始めました。そして、タンスや壁もすべて大きく揺れました。「あ、大地震だ」と分かった時、怖いという気がしたんです。地震がないベトナム出身なので、地震が起きたら、テーブルの下に身を隠す以外、何をすればいいのか知識がほとんどなかったです。そのため、テーブルの下に身を隠すことにしました。テーブルの下にいる間はとても長いという感じでした。家が倒れるかなとか、保育園にいる子どもは大丈夫かなとか、本当に怖かったです。

Q 小松 その後、地震だけでなく津波が発生、ソンさんはどう対応したのか?

A Son 地震が終わってから、すぐ妻と子供の安否を確認した後、テレビとインターネットでニュースを見ました。私の仕事は日本に関するニュースをベトナムに送るというものなので、こんな大ニュースを早めに作って国内に送らなければならなかったんです。最初は大地震なので、被害はかなり大きいと思った私はNHKの生中継で津波による巨大な被害を見てショックでした。特に、移動中の車が津波に流されるシーンはいつまでも忘れられない。津波がその車に近づく頃、「危ない。急いで逃げて」という気持ちでしたが、結局流されてしまったんです。

VOVの記者が体験した東日本大震災 - ảnh 1ベトナム人を仙台から東京に運ぶバス

Q 小松 地震と津波だけでなく、原発も発生しましたが、どのように対応しました。

A Son 本当に怖かったですね。3月12日から15日まで1日平均爆発が1回あったのです。妻と子どもの安全を心配したからです。また、在日ベトナム大使館が仙台や福島にいるベトナム人を東京に迎えるため、バスを手配したことを聞いて一緒に行って取材したいと思ったので、妻と子どもをベトナムに返すことにしました。バスは16日早朝に出発しましたが、15日夜までも妻と子どもの航空券が買えました。当時、飛行機のチケットを手に入れるのはとっても難しかったんです。その便は16日の午後だったので、ほっとしてバスに乗って仙台へ取材に行きました。

Q 小松 そのときの心境は

A Son 妻と子どもをベトナムに返すことができてまず安心しました。高速道路で段々福島に近くなると、怖い!怖くない、また、ちょっと怖いという気持ちになりました。正直に言うと、行くか行かないかよく考えました。行かない方がいいと思った時もありました。しかし、それは仕事なので、どうしても行かなければならないと決断しました。戦地に行く兵士のような心境でした。ほかの国の外国人が次々帰国する中、本国から帰国命令が出ない。仕事のためとはいえこの危険なところに残るのか、、、「出征する兵士」はこんな気持ちなんだろうかという感じでしたね。

VOVの記者が体験した東日本大震災 - ảnh 2東京に戻ったバス

Q 小松 その後、仙台へのバスはどうでしたか。

A Son 当時、被災地への高速道路は特別な許可証がなければ、入れませんでした。そのため、私が乗ったバス以外、普通の自動車はなかったんです。自衛隊のトラックや救急車がたまに走ったけど、その風景は本当に暗かったですね。それに加えて、バスに乗った私と大使館員は誰もが、暗い感じがしたので、あまり話し合わなかったです。でも、幸いに、ベトナム人を仙台から東京に迎えることができました。その日の午後に東京に戻って、東京がとても晴れていたことと、皆が無事に東京に戻られてうれしいということによって私の気持ちはある程度明るくなったんです。

Q 小松 東日本大震災を目撃したベトナム人として一番印象深かったことは何ですか。

A Son 当時は悪いニュースばかり流れていました。原発の爆発連続、原子炉の冷却失敗とか、水道水に放射能が発見などなど。しかし、日本の方々は心配しながらも、普通に生活を続けていました。まったくパニックにならなかったですね。あのような自然災害や事故が起きれば、どこの国でも大小のパニックが起きると思います。例えば、2005年にアメリカ南東部を襲ったハリケーン「カトリーナ」によって、大規模なパニックが起きて、メディアの大きな話題になりました。その面で、日本は世界で唯一の国だと思います。それは最も印象深いことです。日本の方々を尊敬します。これは私のだけでなく、世界の人々の共通の考えでしょう。

Q 小松 Sonさん、ご苦労様でした。この体験は、その後入局した若いタオさんやミンさんたち後輩にも伝えたいと語っていただきました。ソンさんどうもありがとうございました。

聞き手は日本語課の小松でした。

ご感想

ueda kenji
Sonさんの貴重な体験を聞くことができました。 震災当時、私は愛知県に住んでおり、直接の被害は受けなかったものの、不安な日々を過ごしておりました。 あれから10年、この間にも熊本、大阪、多くの地域での地震、そして台風や集中豪雨など100年に一度レベルの災害が多く発生しています。 今、多くの外国人が日本に在住していますが、災害発生時でもその人達の事を忘れず、少しでも助けになれればと思いました。